55章 鳴かず閑古鳥の店
篠崎家、つまり鈴実の家には誰にもいなかった。お姉さんはまだ部活中?
私たちはリビングにまでお邪魔してとりあえず異世界で買った上着を脱いだ。
確か雪菜さんは高校でラクロス部に入ったって聞いたけど。んー、それくらいしか知らない。
というか今日って何曜日で何月何日なの。異世界に行ってから一ヶ月も経ってないよね?
「今日は五月六日……のようね。あっちで過ごした時間は過ぎてないみたいよ」
「え、そうなの?」
「逆に巻き戻されてるわ。あたしたちがあの店に集合している時間にまで」
ほら見て、と新聞を渡された。私の後ろから靖とレリが覗きこむ。
ニュース記事を見ても日時までは私たちには断定できない。一面記事は上部の日付だけ確認した。今日は木曜日。
そのままページを捲ることもなく、ひっくり返して裏面のテレビ欄へと目を通す。
リビングの壁に掛けられた丸い時計に目をやり、今の時間を確認した。十七時の五分前。
「鈴実、テレビ点けても良い?」
「どうぞ。はいこれがリモコン。好きにやって」
手際よくテレビのリモコンが渡され、靖がチャンネルを回した。探すのは今の時間帯にやってるドラマやアニメ。
幾つかの番組を見ながら、それが新聞で予告されてある通りに放送されているのを目にした。
「どういうことだよ、これ」
「前にこの世界に帰って来た時、九月にあっちへ行ったでしょ。たった二日の滞在だったのに、帰ってきたのは十二月だった」
「あの時はなんだかよくわからなかったけど、中間と期末を受けずに済んだよね」
「つまり今度はその時とは逆の展開になったってこと?」
「多分ね。どういうつもりか知らないけど、こっちの都合に良いわ。イヤなくらいよ」
私と靖とレリはよくわからなくて、キュラを見た。そんなのってありなの?
「時間を歪める魔法はあるけど……」
「じゃ、そういうことね」
鈴実がそう締めくくると、それで話は終わり。鈴実はみんなの濡れてるマントとかを集め始めた。
「じゃ、洗濯機にかけてくるわ。みんな、好きにくつろいでて」
お茶とかジュースは冷蔵庫にあるから、と断って鈴実はさっさとリビングから出ていこうとする。
勝手にやれってことなのかな? 最低限、それだけは確認をとっておかなきゃマズイよね。
「じゃあ、コップとか食器棚から出しちゃうよ?」
「ええ。そうしてちょうだい。そういえば清海、あいつは?」
「レイの事? レイなら家の外にいるよ。入ろうとしなかったから、動かずに待っててって」
鈴実の家の前までは一緒に歩いてきてたんだけど、家の前まで来たら動かなくなったんだよね。
腕を引っ張っても声を掛けても入らなかったみたいだからしょうがなくそうお願いしたんだけど。
「そういやさ、キュラとあいつはどうすんだ? 帰る家なんてないだろ、こっちには」
「あ……キュラ、どうする?」
靖の疑問に、はっとする。そうだ私たちは地元に戻ってきてほっとしてるけど。
キュラとレイの居場所を振り分けなきゃ。これってかなり重要なことだった。
「あー。えっと……どうしよう。このままだと野宿するしかないよね」
ほえ? 野宿って、なんで。此処は異世界でも旅先でもなく私たちの地元だよ?
私たちにはちゃんと帰る家があるもん。歩いて三十分もかからない場所にさ。
「あら、何言ってるの。誰の家に泊めるのかって話よ」
「うん。美紀の言うとおりだよ? まさか外で寝かせるわけないじゃん」
「野宿するしかないって、意外とワイルドだね」
「珍しくキュラがボケたな」
美紀、レリ、私と続いて靖。四つの声にキュラはただ苦笑いを浮かべてありがとうを口にした。
風が少し吹いた。気候としては寒くなく、むしろ少し暑い。
ここはどんな国かはわからない。だが、おかしな事象が幾つもある。
地面が黒い場所は頻繁に見かけたが黒い地面を歩く奴はいなかった。
灰色の柱が黒い線を何本も繋げていた。それが空を見上げる時窮屈そうに思える。
遠い場所には馬鹿なくらい高い物体が見え、空には鳥には見えないものが滑空している。
そして今いるのは小さな家が密集している場所。どこからか陽気な歌が聞こえてくる。
平和そうな風景だ。だが、そう見えても今はそうでもないらしい。
少し離れた位置から殺気を感じた。人間のものじゃない。近づいてくる速さからわかる。
別に敵が来るのを俺が待っている必要もない。剣を抜き、地面を駆ける。
「――ッ」
剣は易々と腹を貫いた。剣先からはそいつの血が溢れ、地へ滴る。
放つ殺気の量の割にはあっけなかった。茶髪の、睨みあげる目は赤い。
魔者の女か。だが、どの魔物との混血だ? まさか、これで吸血鬼系統はないだろう。
人としての原型を完全に保っている点からして、いくらか候補を絞ることは出来るが。
女の手のうちにあった短剣が黒い地面に滑り落ちる。勿論、それを野放しになどしない。
遠くへと蹴り飛ばす俺を魔者の女が睨み、その食いしばった口から血を垂れ流し続ける。吐く様子はない。
無造作に剣を引き抜くと裂いた腹から蛇が数匹這い出す。それを見てこの女が何者かわかった。
蛇を全て斬ると、別の気配を感じた。だが殺気は感じない。
「ったくカフィの奴――まあ、これくらいなら安いもんか」
姿を見せたのは銀髪の男。瞳は藤色だが、こいつの仲間とみて間違いあるまい。
刃の切っ先を向けるとその男は女を抱えあげたのとは逆の腕で戦意を持たないことを示した。
「おっと、俺は敵じゃない。こいつの回収に来ただけだ」
手をひらひらと振る。その横にある顔は薄く笑みすら浮かんでいる。殺気は微塵もない。だが、不気味だ。
血を流す女を抱え上げると感謝するぜと言って忽然と消えた。
魔法を使えばそれくらいのことは造作もないことか。個人で容易になせるかどうかは大いに謎ではある。
剣についた血を懐の紙で拭き取り鞘に納めた。今回はそうするだけの時間的余裕があった。
清海が待てと言った場所へ戻り、再び清海が出てくるのを待つ。することがない、それはそれとして構わないからな。
異世界出身の二人はどうしよう、っていうことで私たちは全員で考えた。
それで、各々の家の広さもあるけど順当に靖の所はどうだろうって話になった。
やっぱり年頃の女子の家に男の子が居候するのはどうなのよと鈴実が強く主張したから。
で、そうなると二人一緒に面倒をみるってことで話は一気に終息を迎えた。
「そういうわけ靖の家に暫く滞在ってことね、二人とも」
「まー多分おふくろも親父も受け入れるだろ」
「でも、レイって扱いにくいよ。大丈夫?」
「それは何とかするしかないよ、靖が」
「キュラはそれで良いよな?」
「あ、うん……」
あれ。どうしたんだろ。なんだかうわのそらって感じだけど。鈴実はさっきから喋らないし。
キュラと鈴実が黙ってるってことは何かあるのかな。まさか外でレイが何かやらかしたんじゃないよね?
んー、いやさすがに疑りすぎかな。だって、此処は日本だよ。そう簡単に事件が起こるわけないよ。
「ま、これでこの話は決まったわ」
「ねえ。ずっと思ったんだけど、キュラを帰すって選択肢はないわけ?」
数秒たってから私達は、あ……とそのことに気づいた。それが出来る人の存在をすっかり忘れてた。
「無理ね。じゃ、悪いけど」
一言、それだけ言われてあたしは門前払いをされそうになった。
店の扉が閉められる前に、入り口に片足と片手を挟んだその数秒のうちに考え結論を出した。
何の説明も理由すら教えられることすらなく話を切るなんて。おかしいわ。
そんなのどこの秘匿してたことがバレてろくな対応も寄越さない行政機関かっていうのよ。
言いたくない理由があるにしても適当な嘘くらいは考えつくのに、即答だった。それはつまり。
「比良さん、光奈は何か重要なことを隠しているでしょう」
ひっかかりを感じたのは二つ。そしてさっきの比良さんの答え方で三つになった。
一つめのひっかかりは、どうして役目を果たした途端あたし達をすぐにこっちへ戻したのか。
ルシードとかいう傭兵の人は、清海に仕事の話をしていた時に光奈の事に触れた。
依頼を済ませたら報告をして報酬をもらう。あたし達は傭兵じゃないわ、でも。
急いでるわけじゃないならあたし達が直接光奈の所まで帰って来れば良いだけのこと。
二つめに、キュラまでこっちへ飛ばしちゃったこと。これは間違いかと思った。
けれどそれは多分、違う。なぜならキュラを今すぐ返せないかの問いの答えが無理、だったから。
「あら、そうかしら?」
穏やかな笑顔を浮かべて否定も肯定もしない。様子見ってことは聞き出す余地はあるわね。それなら。
「あの魔法陣、使おうと思えば今にでも使えるんでしょう」
比良さんは無理、といっただけで何日待てば良いのかすら言おうとしなかった。
だから、比良さんと光奈はキュラを何とかしてあっちに戻らせたくないんじゃない?
理由はキュラが魔者だから、とかいう以外にも何かあるんでしょうけど。
光奈は頼りないようだけど、そう見せかけてるというだけでそんなことはないはず。
仮にも一つの国の首領よ。傀儡かとも最初は思ったけど操る人物がいるようにも見えなかった。
操り人形として椅子に座っているだけの無能な王ではない、というのが光奈への推測よ。
涙は元より女の道具。そうでなくても嘘泣きくらい目薬や玉葱を切れば生理的に流れるわ。
方法は幾らでもある。泣いてるくらいじゃ騙されないわよ、同じ女だもの。
あたしたちは嵌められてたのかもしれないわね、最初から。
「光奈の行動は怪しかったわ。あたしたちには悟らせたくなかったみたいだけど」
どうしてあたし達を異世界から呼んだのか?
光奈は自分の力不足でとしか言わなかった。
天使と悪魔を使ってどうしてわざわざ手のかかる方法で異世界へと渡らせたのか?
あたしたちは訊きもしなかったけど、光奈も敢えて説明しようとはしなかった。
比良さんと光奈がずっと連絡をとっていたのならこの店の奥にある魔法陣で最初から行かせれば良かったのに。
わざわざそうまでした理由は一体なに。どうして、はぐれるリスクを負ってまであの鳥を使わなければいけなかったの?
そして、今度はキュラを連れて、旅をした。けれどこれは別にあたしたちじゃなくても事足りたでしょう。
いくら人でが足りないからって、わざわざ別世界の人間に頼む必要はないわ。
むしろ、その土地どころか世界観にまで疎い人間を使うほうが面倒が多いはず。
別の世界から来た人間を起用しないのなら、わざわざキュラを旅先案内人に使う必要性も消える。
それに、清海の横にいたあの男はなんなの。雰囲気が全く堅気の人間じゃなかったわ。
そう考えて、結局光奈はあたしたちやキュラに何をさせたかったのか、ということになる。
魔物との戦闘に慣れさせるため? 旅をさせて、キュラと仲良くなって来ること? あの男の存在は必然?
わからないし予測もつかない。でも、少なくともキュラとあの男までこちらに現れたのは何か理由があるはずだわ。
清海と靖がゲームでよくRPGをやってるけど、それを見ていて不自然に思ったことがある。
最初は貧弱で雑魚しか倒せない、冒険の主人公とラスボスが何であれ必ず、決まってること。
それは、主人公のレベルに合わせて敵は作られてることよ。それはゲームという媒体をクリアするために外せないもの。
無駄に時間を浪費させるのがゲームの目的だもの。金と時間の無駄遣いの塊であってこそのテレビゲームだから。
でも、現実にはそんなことあり得ない。敵はこっちに合わせてくれやしないの。
ゲームと違って、あたし達は最初から魔法に関してはレベルが高いとは思う。でも、戦闘経験は全くなかった。
それで、不意に思ったのよ。光奈はあたしたちを何かに備えさせておきたいんじゃないの?
そう考えたら今の状況を説明できるわ。経験を積ませておいて、退避させておきたいんじゃないか、って。
もしあたしたちの身になにか起こってもちゃんと対処できるように。
「と、こういう風に考えれるのよ。どう? 比良さん」
まあ、それでもわからないのはどうしてキュラもなのかってところよね。あの男もいつ現れたの。
なんで清海が当然のこととして普通の表情をしているのかも謎だけど、それはあの子のことだから看過できるわ。
「よくそれだけのことで考えつくものね……可能性がないとは思わなかったの?」
「それは五分ね。でも、比良さんは光奈のことをよく知ってるでしょうから」
その考えが違うにしても、光奈の考えをぽろっと教えてくれると踏んで話しに来たのよ。
誰かが余計な事を滑らすことのないように、あたし一人で。
でも、さっきの比良さんの言葉であたしの考えはおおよそ合ってるのよね。
否定も肯定もしないということは、少なくとも真実に近いということ。
「あなたには隠しても無駄ね……そうよ、でも三ヶ月。最低一ヶ月は動けないわ」
あなたたちも私も、と比良さんはそう言い加えた。
「その一ヶ月が経ったら?」
「あなたたちは動かなければいけない。代わりは居ないのよ」
だから、それまではみんなには黙っていてちょうだい。知っても今は変えようがないことだから……。
そう言われて、あたしは何故なのか聞き返そうとしたけどそれは出来そうになかった。
さようなら、と告げる優しげな声とは裏腹に比良さんの表情は暗いように見えたから。
あたしが扉の先から足を引き抜くと静かに扉は開かれ、パタンと目の前で閉まった。
比良さんの背後では、煌々と魔法陣が輝きを放ってはいたけれど。
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